慶雲4年(707)、藤原京からの遷都が審議され、和銅元年(708)、元明天皇によって平城京遷都の詔が出された。
和銅3年(710)、平城京に遷都された際には、内裏と大極殿、その他の官舎が整備された程度であったと考えられており、その後段階的に都が整備されたという。
平城宮南面の門であり、「天子南面す」というように、皇宮より京師を睥睨する最も重要な門であり、朝廷の有力氏族である大伴氏の姓が付けられ、大伴門と呼ばれていました。
和銅7年(714)、呼び名を漢風に改め、四神において南方を守護するとされる朱雀を冠した名称「朱雀門」と改められた。
平城宮址 朱雀門は、考古学的研究と奈良県下の寺社に残る門を参考に、五間三戸の二重門がかつて存在した位置に等寸復元されたものである。
昭和39年(1964)、発掘調査によって位置や規模が明らかとなり、平成4年(1992)、基壇の復元が、平成10年(1998)、平城京遷都1300年記念事業の一環として朱雀門が竣工した。
平城宮址のランドマークとして「ああっ、奈良に来たんだなぁ」と近鉄電車🚋の車窓から眺めることになりましたね。
平城宮址も半日、いや1日かけて見学する広さ。まだまだ奈良も見どころ満載ということを実感します。
(参考資料)
現地配付パンフレット
現地案内板