【 若田原遺跡群 】
所在地: 高崎市若田町南下原544外 八幡霊園
昭和45年(1970)、八幡霊園造成に伴い発見され、昭和48年(1973)にかけて発掘調査が実施されている。
この調査で、縄文時代前期末から縄文時代後期初頭にかけての敷石住居2軒を含む竪穴住居址27軒と、墓坑と考えられるピット30基が確認されています。
このうち、霊園中央部に位置する遺構は墓地造成の計画が変更され、保存されることとなった。6世紀初頭の「若田大塚古墳」、6世紀後半の「楢ノ木古墳」、6世紀後半の「峯林古墳」が中央公園に残されています。
そして、縄文時代の住居址2軒(写真1・2)と古墳時代の住居址1軒(写真3)が埋め戻されて保存されています。
縄文時代中期の住居址は覆屋が建築されて遺構が保存されています。
この住居址は全長5.6mで、敷石には扁平な川原石の板状の安山岩が用いられ、柄鏡形をした敷石住居です。張り出し部と境には小竪穴が設けられています。炉は中央やや南に四角く石で囲まれ縦90㎝、横70㎝の規模です。
八幡霊園造成に伴い、本来は破壊されるはずであった「若田原遺跡群」。一部だけとはいえ保存されたことは喜ばしいこと。
当時は発掘調査ラッシュの時代であり、一部とはいえ保存することは難しかったのではないでしょうか。全国各地で貴重な遺跡が記録保存されたものが多かった時代ですからねぇ。
とはいうものの、墓参りに来ても住居址を気にする人は居ない。これは残念です💦中央公園は最近子供連れの人がボール遊びなどしており、古墳があること知っているんですから、ちょっと対照的ですわ💦
もっと知られても良い遺跡ですから、お墓参りの際にでもちょっと気にしてもらえればと思います(^^♪
(参考資料)
現地案内板