【 寺ノ浦石器時代住居跡 】
所在地: 小諸市滋野甲字寺ノ浦3041 ほか
三方ヶ峰から南に緩やかに傾斜する丘陵上に位置する。日当たりの良い乾燥地である
が、付近には沢が多く生活水を得やすく、ドングリの収穫や野生の動物などの狩猟もし
易い便利な居住地であったと思われる。
昭和初期、長野県下では教員が中心となり考古学的調査が精力的に行われており、こ
の地域では上小教育会郷土史研究部員によって遺物の表層採取による研究が続けられて
いました。
昭和5年(1930)4月、地主・地域住民の協力もあって「戌立石器時代住居跡
(戌立遺跡)」が発掘調査をされ、それに続く形で5月に「寺ノ浦石器時代住居跡(寺
ノ浦遺跡)」が発掘調査された。
調査の結果、炉跡2、柱穴3、東西12m、南北12.8mの規模の鉄平石を用いた敷
石を伴う縄文時代後期の住居跡が検出し、その規模や炉の数から時期を異にする住居が
重なっていた可能性が高い(遺構の切り合いが見られたものと推察される。当時は考古
学的研究手法が未だ確立しておらず、そのような記述になったものと思われる)。
遺物としては縄文土器のほか打製石斧や磨製石斧、石鏃、石棒、砥石、多凹石(石皿
のことか?)などが出土している。またオオカミ🐺の牙と鑑定された遺物も出土してい
る。
調査後、敷石住居跡に上屋の復元がなされ、保護・活用がなされていることは当時と
しては画期的な取り組みであったが・・・残念ながら落雷⚡によって焼失しています。
令和4年(2022)、東御市などの有志によって戌立・寺ノ浦石器時代住居跡保存
会が発足し、長年通行できなかった遺跡間の連絡路(発掘調査当時に使用していた連絡
路)の再整備や草刈りなど見学しやすい環境となった。
遺跡の整備が近々に地域活性化に繋がるものとは考えにくいが、地域への誇りや愛着
を育む要因にはなろう。保存会も戌立縄文祭の継続など定期的な活動を行うことで、改
正文化財保護法の謳う活用に繋がるものと思いたい。
本ブログも小さな灯火ながら💦【遺跡の周知】の一助となれば幸いであるm(__)m
(参考資料)
現地案内板