【 青柳屋敷跡 】 評価 ★
別 名:
築城年代:
築 城 者: 青柳氏
区 分: 屋 敷
現 状: 宅地・耕地
築城年代は明らかではないが、長野氏に属したこの地の土豪である青柳氏によって築かれたとされる。
日本城郭体系では、青柳金王忠家の屋敷とあり、忠家は長野十六槍のひとりに数えられている。長野十六槍には剣聖・上泉伊勢守信綱を筆頭に、藤井豊後守友忠、白川五郎兵衛満勝、岸信保、道寺左近信貞らが挙げられる(『箕輪軍記』中にはその記述はないので後世に創作されたのだろう)。
忠家の本拠は勢多郡青柳村(現在の前橋市青柳町)であるが、長野氏に仕え「十二家客分大身小身知行持衆」の一人とされ、屋敷は長野氏に仕えた際に、箕輪城下に与えられた屋敷とも考えられる。
初代群馬県令・楫取素彦下命で編纂された地誌には、「下芝の砦、村の西にあり、東西七十間、南北四十六間の田甫となる。青柳治部の砦」と記述されている。
永禄9年(1566)、武田信玄が上州に侵攻し、長野氏方の諸城は次々に落城🔥箕輪城も攻略され、城主・長野業盛とともに青柳金王忠家も自刃しています。
この甲州勢侵攻の際、屋敷を防衛に使用したとは考えにくく、箕輪落城後には廃されたと思われる。
屋敷の遺構は全く残されてはいない💦
(参考資料)
日本城郭体系 4 茨城・栃木・群馬 新人物往来社