日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

谷地遺跡C地点 配石遺構(群馬県藤岡市)

 

  【 谷地遺跡C地点 配石遺構 】

 

   所在地:藤岡市中栗須813-1 公立藤岡総合病院附属外来センター敷地東端部

 

f:id:nihonshiseki:20201118163142j:plain

 

 平成28年(2016)、公立藤岡総合病院附属外来センター建設に先立って発掘調査が実施され、約5,500㎡が調査されました。

 

 谷地遺跡は縄文時代後期から晩期(4,000~2,000年前)の遺跡として知られ、過去の調査では土器埋設遺構等の遺構が知られていました。

 

 今回の(って当然ながら平成28年のですが・・・)調査では、縄文時代後期の住居跡約10軒、配石遺構等約30基が検出され、列石遺構も検出しました。

 また、出土した流木などからほぼ同時期の川(洪水)の痕跡も発見されています。

 

 調査区の東南隅から発見された7基の配石遺構は、主に細長い川原石を利用して長方形に囲い、中を十字に区切り、その中央や両端に石棒が立てられた状態で出土しました。

 十字に区画する石は2個並べて置かれることが多く、石棒や立石とともに一つの特徴となっている。これらはお互い隣接して造られ、配石遺構のまとまりも方形であった可能性が考えられています。

 

 石棒は生命力の象徴と考えられており、配石遺構は縄文時代の人々が子孫繁栄や五穀豊穣といったムラの幸せを祈った祭祀の場であったと推測されています。

 

 南に隣接する「中栗須滝川Ⅱ遺跡」(現在、デイサービス施設・栗須の郷が建つ)は、同遺跡と同一のムラと推定され、縄文時代後期から晩期の住宅跡や列石などが検出していることから、この一帯が縄文時代後期から晩期の拠点集落であったと考えられています。

 

 公立藤岡総合病院附属外来センターの東端部に、配石遺構の一部が移築復元されています。なお、見学の際には病院利用者に配慮するようお願い致しますm(__)m

 

 

 それにしても、史跡指定されていないことでなかなか知られていないですが・・・、こうして保存されていたり、案内板があるって遺跡も多いですね。こうした場所もより周知されることが必要ですねぇ💦せっかく保存されているのですから💦

 

 (参考資料)

    埋文ぐんま         群馬県埋蔵文化財調査事業団

    現地案内板