「愛宕山古墳」は利根川西岸に南北約4㌔にわたって5世紀後半から7世紀後半にか
けて築造された「総社古墳群」を構成する1基。
「総社古墳群」は東日本でも有数の古墳群であり、6基の大型古墳のうち、3基が国
史跡に、2基が市史跡に指定されている。
前橋市教育委員会では、未指定である「愛宕山古墳」を含めて「総社古墳群」として
国指定史跡を目指している。7ヶ年計画の4年目の今年度は「愛宕山古墳」を調査し、
素晴らしい遺構が検出しています(^^♪
( 「愛宕山古墳」北トレンチ )
「愛宕山古墳」は平成7年度に周堀部分の調査が行われていますが、墳丘部について
は未調査でした。今回の調査では墳丘の形状および範囲確認が行われています。
調査の結果、1辺約56mを測る大型方墳であり、7世紀前半に築造されたと推定さ
れ、総社古墳群変遷を考える上で大きな転換点に築造された古墳であることが明らかと
なりました。
これまで墳丘は二段築成の古墳であると考えられていましたが、新たに葺石が検出
し、三段築成の古墳であることが判明しました。
平坦部(墳丘テラス部)には敷石遺構が確認され、二段目の葺石は大きな川原石を丁
寧に葺き、その外側にも葺石を施した二重構造であることが確認されています。
( 墳丘テラス部の敷石遺構 )
( 二段目葺石遺構 )
葺石の傾斜は40°ほどで急な傾斜に耐えられるよう、ある一定の高さまで平らに積
まれており、三段築成ではなくさらに段数を増す可能性も考えられています。
こうしたことから、「愛宕山古墳」は墳丘築造に力を注いでいることは明らかであ
り、格調高く立派な古墳であったと考えられる。
7世紀前半、関東では古墳築造に力を注いでいるようで、栃木県の「壬生車塚古墳」
でも同様の遺構が確認されています。
( 墳丘部から周堀を望む )
調査では周堀の外側立ち上がりを再確認し、古墳の広がりが明確になりました。
群馬県における年代特定の地層であるAs-B(浅間B軽石)=1108年も確認出
来ます!!
今回の調査では、「愛宕山古墳」の構造をより詳細に確認できたことから、古墳の持
つ価値がさらに高まったと言えます。
コロナ禍中にあって、なかなか発掘調査現地説明会が開催されませんが、開催された
際は是非足を運んでみてくださいね(^^♪