【 金山城跡 】 評価 ★
別 名:
所 在 地: 前橋市富士見町原之郷字岡、字反町
築城年代: 天文年間(1532~1555)
築 城 者: 高山山城守
区 分: 平 城
現 状: 宅地・耕地
群馬県(かつての上野国)で「金山城跡」と言えば・・・太田金山城、平井金山城が
イメージされることだろう。
しかし、旧富士見村にも「金山城」は存在していた(というより、全国各地に金山城
って多いのである)。
北と西を細ヶ沢川の崖端に寄せ、南方には九十九山砦が接している。本丸は東西10
0m、南北70mで空堀を巡らせ、北縁中央に櫓台があったようである。
本丸は東城と呼び、空堀を挟み西に中城、西城がある。東には虚空蔵郭を配した並郭
式構造である。
天文年間(1532~1555)、木曽義仲に属して勇名を馳せた緑埜郡高山党の末
裔の寄居として築かれたようであり、文献等に見るべきものはない。
永禄年間(1558~1570)の群馬県(上野国)における戦国時代の勢力を推定
する重要史料である『関東幕注文』の白井衆のなかに高山山城守の名が見られることか
ら、金山城主であったと推定されている。
元亀年間(1570~1573)、廃城と伝えられる以外に目立った記録はない。
「金山城跡」は、立派な城址碑が残るものの、目立った遺構は確認できない。しか
し、城址碑が建立されているだけでこの地に城跡があったという地域の歴史がわかる。
九十九山(砦&古墳)と併せて散策するのが望ましいだろう。少し足を延ばせば、老農
船津伝次平の墓もあり、面的な史跡活用が考えられる地域である。
(参考資料)
日本城郭体系 4 茨城・栃木・群馬 新人物往来社