【 最初のフランス公使宿館跡 】
所在地: 港区三田4-16-23 済海寺境内
安政5年(1858)9月3日、江戸幕府と第二帝政フランスとの間に日仏修好通商
条約が締結されると、安政6年(1859)8月12日、済海寺にフランス公使宿館が
設置された。
初代駐日公使としてド・ベンクール(着任時は総領事)が着任している。
公使館として書院・庫裡の全部が使用され、慶応2年(1866)12月には、玄
関・門・門番所などが増設されたことが、済海寺側の記録『外国書願留』に残されてい
ます。またフランス公使宿館として使用されたことで、済海寺の生活は困窮したことか
ら、幕府からの支給によって建物の増設が行われたことも伝わっています。
尊王攘夷運動が吹き荒れる中、二度に及ぶ東禅寺事件や生麦事件といった外国人殺傷
事件が各地で勃発。万延元年(1860)9月17日、済海寺でもフランス公使館の旗
番であったイタリア人・ナタール襲撃事件が発生している。
当時のフランスは世界の強国であり、ここを足場に活発な外交を行い、公使・ロッシ
ュは江戸幕府を援助し、フランス式軍制を取り入れている。
公使宿館は明治3年(1870)4月に引き払われるまで使用されています。
(参考資料)
歴史散歩みなと 港区教育委員会
現地案内板