【 高槻 富田の酒造り 】
( 「寿酒造」 )
高槻市富田は、阿武山山系の石灰質を通って豊富な地下水脈から湧き出る清水と、良
質な酒米に恵まれた土地であった。酒造りに代表される商工業で栄え、17世紀には2
4軒の造り酒屋が軒を連ね、江戸にまで聞こえた銘酒の産地として隆盛を極めたが、現
在は「寿酒造」と「清鶴酒造」の2軒の造り酒屋が富田伝統の地酒を造り続けているの
みである。
江戸時代初期、清水家(紅屋)初代・利重は、関ケ原の戦いや大坂の陣で徳川方に協
力した功績で、特別な酒造り免許(由緒株)を受け徳川将軍家への献上物やお目見えも
許可され、富田の酒造業発展の中心となった。
元禄14年(1701)刊行の『摂陽群談』には、「所々の市店に出せり、香味勝て
宜し」と記され、また芭蕉十哲の1人である宝井其角は「けさたんと のめやあやめの
とんたさけ」の句を詠んでいる。
そんな富田の酒造りも、江戸時代中期以降は度重なる酒造制限に加え、池田・伊丹・
灘の酒造業に押され、江戸時代後期になると徐々に酒造業は衰退している。
二日間の高槻踏査で最後に訪れたのが「富田の酒造会社」であった。祝日であったこ
ともあり、蔵元はお休み💦
地酒🍶の試飲をしようとも思っていたが・・・残念(>_<) 機会があれば酒販店で富田
の酒を探してみようと思います。
(参考資料)
現地案内板