日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

考古学の散歩道

 

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  平成5年(1993)11月22日 第1刷 発行

 

                田中琢 佐原真 著  岩波書店  ¥580

 

 考古学研究者の大家である田中琢・佐原真両氏の珠玉のエッセイ集。

 

 発掘調査による新発見や他分野との共同研究の進化によって、考古学は日進月歩の進

化を遂げており、記述内容に一部古い部分はあるものの、過去の研究を知ることは不必

要なことではなく、むしろ必要なことである。

 

 また本書中には田中琢氏の「文化財保護の思想」というエッセイがあり、今後に役立

てることの出来るものであった。

 

 本には必ず人に役立つ(心に残る)一節がある。本書もその一冊であり、今後役立つ

ときもあろう。

 

 皆さんも古書店に行った際には、そうした珠玉の一冊をお探しくださいm(__)m

文化財カード ~文化財保存の一助となるか~

 

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 深谷市の「清風亭」内に置かれていた文化財カード。

 

 このカードは文化財保存の一助とすべく、¥100の寄付(文化財修復のための費

用)をすることで1枚ゲットするシステムとなっているようだ。

 

 現在、ダムカードを始めとしたカードのコレクターは多い。

 

 入館することでこうしたカードを貰えるようなシステムが幅広く整備されていくこと

で、文化財保存の一助となるのではないだろうか。

 

 こうした取り組みが全国各地に広がることが望まれよう。

 

 一枚の文化財カードからより良い文化財の保存と活用を考えるようになったこと。こ

れも通信教育で学んだ一つの成果と言えるのだろう(^^♪

「城ノ内遺跡」発掘調査現地説明会のお知らせ!

 

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 栃木県河内郡上三川町大字多功にある「城ノ内遺跡」。

 

 県道建設工事に伴う発掘調査が公益財団法人・とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財セン

ターによって行われ、調査の結果、古墳、奈良・平安時代掘立柱建物跡、多功城外堀

の可能性のある痕跡が検出されました。

 

 この成果を公開することは文化財行政にとって重要なこと。ということで、現地説明

会が開催される運びとなりました(^^♪

 

 日時: 令和3年(2021)7月10日(土)

       10:00~ 10:20~ 10:40~

       13:30~ 13:50~ 14:10~

 

     ※ 少雨決行。荒天の場合は翌11日(日)に順延

 

 コロナウイルス対策のため事前申し込みが必要となっております。

 

 発掘調査で出土した遺構を間近に確認できる良い機会であり、興味をお持ちの方は是

非訪れていただければと思います。

清風亭(埼玉県深谷市)

 

  【 清風亭 】

 

   所在地:    深谷市起会110-1

   入館料:                無 料

   休館日: 年末年始(12/29~1/3)

 

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 大正15年(1926)、第一国立銀行(現在のみずほ銀行)頭取であった佐々木勇

之助の古希を祈念して、東京都世田谷区瀬田の清和園に建造された。

 

 設計者は、銀行建築の第一人者であった西村好時で、建築資金は第一国立銀行行員の

出資による。

 

 建築面積168㎡。鉄筋コンクリート造平屋建。外壁は人造石掻落し仕上げの白壁に

黒いスクラッチタイルと鼻黒煉瓦がアクセントを付けている。屋根のスパニッシュ瓦

(スペイン瓦)、ベランダのアーチ、出窓のステンドグラスや円柱装飾など、西村自身

南欧田園趣味と記述したようにスペイン風様式が採用されている。

 

 まず、佐々木勇之助であるが、勤勉精勤、謹厳方正な性格で知られ、終始渋沢栄一

補佐した人物である。28歳の若さで第一国立銀行本店支配人に就任し、大正5年(1

916)には渋沢の後任として第二代頭取に就任している。

 

 西村好時は清水組(現在の清水建設)に入社後、第一国立銀行建築課長に就任し、東

京丸の内の第一国立銀行新本店をはじめ、三田の渋沢栄一邸も設計した人物として知ら

れている。

 

 「清風亭」は、大正12年(1923)の関東大震災を契機に煉瓦造から鉄筋コンク

リート造に主流が変わったのだが、初期の建造物として建築史上貴重なものである。

 

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 昭和46年(1971)、清和園の敷地の過半が聖マリア学園に売却され、昭和50

年代には集会場として貸出されている。

 

 建物や敷地時代は当時の第一勧業銀行の所有であったのだが、平成9年(1997)

には、聖マリア学園施設拡充計画に伴い、取り壊しの危機に瀕することとなった。

 

 深谷市渋沢栄一ゆかりの貴重な建造物が取り壊されることを見過ごせず、譲受けに

名乗りを挙げ、煉瓦壁をなるべく大きく切断して輸送する「大ばらし」を応用した日本

初の工法を用い、2年間の解体・復元工事を経て、平成11年(1999)、移築復元

を完成させている。

 

 この移築復元、まさに深谷市の英断であろう。貴重な建造物の保存という点では優れ

た例となった。活用という点では広く市民等の見学に供されているほか、伝説の歌姫・

安室奈美恵さんのPVにも使用されたということで、ファンが訪れているという。しか

しながら、保存と活用を考える上では課題を有しており、今後論文等で取り上げたい文

化財でもある。

 

 (参考資料)

   現地配付パンフレット

   現地案内板

そば遊歩(埼玉県深谷市)

 

  【 そば遊歩 】

 

   所  在  地: 深谷市国済寺493-1

   定  休  日:    水曜・木曜

   営業時間: 11:30~15:30

 

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 今回、御紹介するのは「そば遊歩」さん。

 

 これまで何度となく深谷は訪れているが、飲食店に立ち寄ったのは実は今回が初めて

である。

 

 「そば遊歩」さん。これまで知らなかったんですが・・・名店ですなぁ。運よく席に

通されましたが、続々とお客さんが来店されるではないですかぁ。

 

 竹林に囲まれた空間にお店はあり、駐車場にはニワトリ🐓🐓🐓さんが元気に歩き回

っています。放し飼いなのかなぁ?

 

 お蕎麦は100%八ヶ岳山麓産の信濃1号という品種を使用した十割蕎麦。やや辛め

のつゆとの相性は抜群でした。

 

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 スモーク鴨、白茄子のてんぷらもオーダーしましたが・・・、撮影し忘れ💦

 

 サイドメニューも季節限定のものもあるようです。

 

 ゆっくりと蕎麦を堪能できるお店ですから、若干待つことを覚悟した上でも訪れても

らいたいお店です(^^♪

尾高惇忠生家(埼玉県深谷市)

 

  【 尾高惇忠生家 】

 

   所在地:   深谷市下手計236

   入館料:      無 料

   休館日: 年末年始(12/29~1/3)

 

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 江戸時代後期、NHK大河ドラマ『晴天を衝(つ)け』で登場する尾高惇忠の曾祖父

である尾高磯五郎によって築造されたものと伝わる。

 

 尾高家は「油屋」の屋号で呼ばれ、搾油業・製藍業を務めていました。岡部藩・安部

氏の下で下手計村の里正を務め、代々苗字帯刀が許されていた。

 

 この家で、尾高惇忠や渋沢栄一の妻となった千代、栄一の見立養子となった平九郎、

伝馬町牢屋敷に投獄された剣豪・長七郎、惇忠の娘で富岡製糸場伝習工女第一号となる

ゆうが育ちました。

 

 若き日の尾高惇忠や渋沢栄一らが水戸藩尊王攘夷思想に共鳴し、高崎城乗っ取り・

横浜外国商館焼き討ちの謀議をなしたのも2階と伝わります。

 

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 内庭にある煉瓦倉庫は「上敷免製」の刻印を残す煉瓦が周囲に残されており、日本煉

瓦製造株式会社製の煉瓦で建造されたものと思われます。

 

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 生家前には「長屋跡」の石基壇が残ります。長屋も江戸時代後期頃に築造されたとい

われ、藍玉製造や菜種油の搾取など作業場として使用されていました。一説では惇忠ら

が剣術道場として使用していたと伝わります。

 

 昭和40年(1965)頃に、西の少し離れた場所に移築されていましたが、平成1

5年(2003)頃に取り壊されてしまいました。

 

 尾高家の人物についても軽く触れておきます。

 

 尾高惇忠。通称新五郎。渋沢栄一の従兄にあたり、栄一は少年時代から惇忠の元に通

い、論語・中庸など多くの学問を師事したことは広く知られています。明治時代になる

と、惇忠は富岡製糸場初代場長や第一国立銀行(現在のみずほ銀行)盛岡支店長や仙台

支店長などを歴任しています。惇忠と栄一の縁は生涯続いていたことがうかがい知れま

す。

 

 渋沢(尾高)千代。栄一の妻であるが、明治15年(1882)に病没。

 

 渋沢(尾高)平九郎。栄一の見立養子となる。明治元年(1868)5月23日、飯

能戦争で戦死している。渋沢喜作(成一郎)の結成した彰義隊➡振武隊に参加し、幕臣

の子として新政府軍と戦い、若い命を散らしている。

 

 尾高長七郎。文久2年(1862)の坂下門外の変の謀議などに参加。その後誤って

人を殺害し、伝馬町牢屋敷に投獄された。明治元年(1868)に出獄したが、下手計

村でまもなく病没した。

 

 尾高ゆう。父である惇忠が富岡製糸場初代場長に就任するに際し、14歳で伝習工女

となった。当時女性たちの間では、工場で生き血を取られる(外国人技術者が飲むワイ

ンの色が誤解を与えていた)という噂があり、惇忠は自らの娘であるゆうを工女とする

ことでその噂は立ち消え、ゆうの決断は近隣に知れ渡り、感銘した女性たちが伝習工女

に志願し始めました。ゆうもまた、日本の近代化を支えた一人です。

 

 

 以前は「尾高惇忠生家」に駐車場は整備されていませんでしたが、大河ドラマの影響

もあり、4~5台は生家前に駐車可能です。

 

 土間から生家内を見学できるようにはなりましたが、生家内への立ち入りは禁止。

 

 この地域の文化財の今後の活用については要検討の余地を残している。入場料無料と

いう施設が多く、観光客には喜ばしいものであるが・・・保存費用を考えると如何なも

のであろうか💦周辺には観光客向けの幟もたなびくが、この地で消費を促すものは少な

く、大河ドラマの影響が薄れた際のことを考えた施策を今後検討して行かなければなら

ないだろう。

 

 (参考資料)

   現地配付パンフレット    

晴天を衝け ~栄一の生地・血洗島を行く~

 

 本年度のNHK大河ドラマ「晴天を衝け」の舞台である武州岡部藩領・血洗島。これ

まで城館遺跡踏査では何度となく訪れた地である。

 

 岡部陣屋、内ヶ島氏館等々もブログに更新したことはなく、訪れようかとは思った

が。今回は渋沢栄一関連史跡を踏査することにしました。

 

 踏査前には、恒例の道の駅で新鮮な農産物のお買い物。

 

 道の駅「おかべ」でお買い物した後に踏査開始です!!

 

 🔵 誠之堂・清風亭      深谷市起会110-1

 

   渋沢ゆかりの煉瓦建築が大寄公民館敷地内に移築されています。

 

   清風亭は、安室奈美恵さんのPVにも使われたとか?

 

 🔵 渋沢栄一記念館      深谷市下手計1204

 

   様々な資料が展示されているが、やはり見どころは渋沢栄一のアンドロイドです

   ね(^^♪ 事前予約が必要ですからお気をつけ下さい。

 

 🔵 旧渋沢邸「中の家」    深谷市血洗島247-1

 

   言わずと知れた栄一の生家です。

 

 🔵 尾高惇忠生家        深谷市下手計236

 

            大河ドラマ中の、あにぃ=田辺誠一さんのお家です。

 

 通常であれば、深谷あたりでは昼食とらずに踏査を続けますが、今日は両親も一緒と

いうことで、お蕎麦を食しましたが・・・このお蕎麦屋さん◎でした。

 

 そしてこの後は、先日NHK「鶴瓶の家族に乾杯」でも放送されました古書店「須方

書店」に。

 

 将来的に古書店も開業したいという野望もあり、古書購入とともに将来の構想を練る

ためですわ(^^♪

 

 でっ、この他にも下調べした史跡はあったのですが・・・。本日はこんなところで打

ち止めですぅ💦

 

 こんな感じでも最近は疲れちゃうんですよねぇ💦 やっぱ年かなぁ(>_<)

 

 あっ、それと今日の踏査で感じることもありました。

  ① 上記史跡の見学は全て無料。保存修復費用を考えると今後どうなの?

  ② 大河ドラマの影響による観光客増を見込み、駐車場の整備も行われていました

    が、大河ドラマ終了後のことを考えるとどうなの?

  ③ この地域の文化財の保存活用。検討すべき課題が多いなぁ。

 

 現地踏査して感じたことは、今後の論文で活かそうかと思います。ということで、今

日の踏査も充実したものでした(^^♪