【 日高遺跡 】
昭和52年(1977)、関越自動車道建設に先立ち発掘調査が実施され、3世紀後半(古墳時代)の浅間山の大噴火🌋によって降り積もった浅間C軽石(ASーC)に覆われた弥生時代後期(2~3世紀)の水田址・集落址・方形周溝墓が検出した。
さらに溜池状遺構や湧水の存在も明らかとなったことで、弥生時代の水田稲作の様子が明らかとなりました。
居住域・生産域・墓域がまとまって検出した重要な遺跡であることから、国指定史跡となりました。
平成5年度から平成20年度に行われた発掘調査(遺跡内容確認調査)では、水田址の広がりが把握されたとともに、環濠集落・円形周溝墓群も検出しています。
( 水田址と畔址 )
弥生時代後期(2~3世紀)は『魏志』東夷伝倭人条にみられる倭国大乱の時代である。
日高遺跡の環濠集落址も倭国大乱をうけて築造されたのであるが、戦乱の影は全く見られない。
西国・畿内・東海での戦乱の情報が越(現在の新潟県)あるいは信濃(現在の長野県)から土器とともにもたらされたと推定されている。
( 環濠集落址内部 )
( 環濠 )
日高遺跡公園として整備され、文化財の保存と活用が上手く行われている好例である。
( 参考資料 )
現地案内板