【 吉井藩治跡碑 】
大正6年(1917)、五代目吉井町長である橳島福七郎ほか有志によって建立され
た。撰文と書は、旧吉井藩士である中村忠誠。篆額は旧吉井藩第十一代藩主・松平信発
の真蹟で「福徳因孝」の四文字を掲げている。
碑文は吉井藩松平氏の出自と歴代藩主の治績が刻まれているが、とりわけ第十一代藩
主・松平信発の治績が大きいことを記している。
藩祖である松平信平は駿河大納言・徳川忠長の子と碑には刻まれているが、これは誤
りである。
信平は五摂家のひとつ・鷹司家の庶子であり、徳川家光の御台所であった姉の孝子を
頼って江戸へ赴き、寄合旗本となった人物です。その後、徳川家綱の配慮によって、紀
州徳川頼宣の娘である松姫を娶ったことで、紀州徳川家の縁者となり、松平信平を名乗
っています(中村忠誠ら吉井藩内では鷹司松平家の出自が徳川宗家の流れを汲んでいる
ものと思われていたことから、碑文に刻まれたものと考えられます)。
吉井藩の治世を後世に伝える碑であるとともに、吉井陣屋の痕跡として大切に守って
いかねばならない史跡です。
(参考資料)
現地案内板