日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

新薬師寺旧境内 大型基壇建物跡(奈良県奈良市)

 

  【 新薬師寺旧境内 大型基壇建物跡 】

 

   所在地: 奈良市高畑町

 

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 平成20年(2008)、奈良教育大学校舎改築に伴う発掘調査が実施され、構内で

大型基壇建物跡が検出した。

 

 凝灰岩製(二上山産)の延石列と雨落ち溝が検出し、基壇の存在が明らかとなり、基

壇内西部には一辺約3mの壺地業と呼ばれる礎石を据えるための地固めを行った痕跡が

残されていた。

 

 基壇南全面には幅約52mにもなる幅広の階段が設けられ、基壇自体の幅約68m、

奥行約27mと推定され、基壇の高さも約2mと推定されている。

 

 大型基壇建物跡の復原では、現在の東大寺大仏殿に匹敵し、奈良時代では大極殿より

大きく大仏殿に次ぐ規模となる。

 

 七仏薬師金堂と推定されているが、平安時代末期に成立した『東大寺要録』巻第六・

末寺章には「九間仏堂」であったと記されており、十三間に復原される大型基壇建物跡

とは合致しない部分もある。天平勝宝8年(756)成立の『東大寺山堺四至図』で

は、羅索堂(法華堂)の真南に七間の新薬師寺堂が描かれているが、これとも合致しな

い。

 

 しかしながら、新薬師寺の主要伽藍は『続日本紀』によれば、宝亀11年(780)

に落雷⚡で西塔が焼失し、いくつかの堂宇が延焼、さらに応和2年(962)、台風で

金堂以下主要堂宇が倒壊するなど早い時期に失われていることから、主要伽藍の位置は

不明であったが、大型基壇建物跡の検出で伽藍の一部の存在が明らかとなった。

 

 平成21年(2009)の調査でも、大型基壇建物跡の中軸線上の南方に一対のヒノ

キ製八角柱が検出し、建物跡の存在が明らかとなった。

 

 

 奈良市写真美術館を経て新薬師寺に向かう途中、奈良教育大学沿いを歩くのである

が、フェンスに案内板を発見した。これが「新薬師寺旧境内 大型基壇建物跡」の案内板

であった。

 

 散策中にこうした案内板が設置されていることは、非常に好ましい(^^♪ 調査後は遺

構は埋め戻されているが、往時の状況を偲ぶことが出来るからである。

 

 文化財保護法改正によって、文化財の活用が謳われており、こうした取り組みがより

進むことが望まれる。しかしながら、ありとあらゆる遺跡に案内板が設置されたら・・

日本全国各地に案内板が乱立してしまうでしょうねぇ💦

 

 (参考資料)

   現地案内板