安中市庁舎建設工事に伴う旧安中高校校庭に所在する「町北遺跡」発掘調査現地説明
会に行ってまいりました。
厳密に言えば・・・、説明会前に遺構を見て歩きました💦 今日も非常に暑い日差し
だったのでぇ(>_<)
「町北遺跡」は九十九川・碓氷川に挟まれた原市・安中台地に位置しています。
調査の結果、飛鳥時代(7世紀)まで遡ると考えられる推定東山道駅路が検出し、遺
構として発見されたのは(安中市内としては)初となります。
道幅は約10m、道の両側には幅70㎝程度の側溝が掘り込まれていました。道路規
模や側溝の造り方など群馬県内で確認されている東山道駅路との共通点も多く、東山道
駅路の可能性が極めて高いと判断されています。
総柱建物跡も確認され、基礎は長方形に地面を掘りくぼめ、その中に河原石と土を充
填して造成されていました。版築工法が採用されており、当時の重要な公的施設と推測
されています。
総柱建物跡の北側には梁行3間(7.5m)、桁行9間(27m)の大型掘立柱建物跡
が確認されており、各柱穴は約1m四方もあり、大きな柱であったと考えられていま
す。
総柱建物跡と掘立柱建物跡の軸が合うことから、2つの建物は同時期に機能していた
と考えられ、また3分の1は東山道駅路内に及んでいることから、東山道駅路廃絶後に
建造されたことが明らかとなっています。
え~っ、この他に瓦廃棄土坑もあるのですが・・・何故か?撮影し忘れ(>_<)
約4m四方、深さ1.6m以上の土坑であり、土坑内から8~10世紀に焼成された須
恵器が出土したことから、この時期に機能していたものと推察されています。
また瓦が多数出土しており、瓦の多くは8世紀前半頃のものです。下層部ではスサ・
粘土・漆喰などの建材が層上に堆積している様相も確認出来ました。
「町北遺跡」から北へ約300mの距離にある植松・地尻遺跡からは「評」と刻まれ
た須恵器が出土しており、古代碓氷郡の郡家・評家の解明に繋がる発見であり、今後の
調査研究で解明が進むのではないでしょうか。
某が訪れた時間帯には、明治大学教授・若狭徹氏も訪れており、安中市教育委員会で
旧知の井上慎也氏もいらっしゃったので御挨拶もできました。
なお、市長も現地説明会にいらっしゃっていたようであり、未確認情報ではあります
が・・・貴重な遺構の発見もあり、遺構の保存も検討されているようです。落ち着きま
したら改めて確認してみようかと思います(^^♪