【 押野館跡 】 評価 ★
別 名:
所 在 地: 野々市市押野3-166
築城年代: 建武2年(1335)
築 城 者: 富樫家善
区 分: 居 館
現 状: 押野南公園・耕地
建武2年(1335)、加賀國守護となった富樫高家の弟である富樫家善の居館とし
て築かれた。
家善は押野荘地頭であり、富樫庶流として押野氏を名乗ったことから「押野殿」と呼
ばれ、富樫被官となっている。
長享2年(1488)、加賀國守護・富樫政親は一向一揆勢によって滅亡の憂き目に
あったが、押野館にあった押野氏も同時に滅亡し、館は廃されたようである。
文化8年(1811)頃に加賀藩士・湯浅弦斎が描いた『押野館跡図』によれば、東
面49間(約88m)、南面56間(約102m)、西面87間(約158m)、北面
27間(約49m)、東北面45間(約82m)。周囲の一部には土居が記され、江戸
時代終わり頃まで館の名残がみられたようです。
この地は弥生時代後期の集落跡である「押野タチナカ遺跡」として発掘調査が行われている。
発掘調査では館の周りを囲む堀跡、掘立柱建物跡、竪穴状遺構、井戸跡が検出され、
14世紀頃の瀬戸焼壺や珠洲焼擂鉢といった威信財、酒宴などで使用されたと推察され
る土師器皿などの日常雑器、鉄製鋤先などが出土しています。
遺構は残されていないものの案内板は設置されており、城めぐらーには嬉しい城館跡
である。中世城館跡も地域にとって大切な文化財であり、城館跡には各地から訪問する
人々が多い。御城印をはじめ積極的な活用を図ってもらいたいものである。
(参考資料)
富樫氏の歴史と遺跡 石川中央都市圏歴史遺産活用連絡会
現地案内板