日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

西大寺石落神社本殿(奈良県奈良市)

 

  【 西大寺石落神社本殿 】

 

          所在地: 奈良市西大寺南町1-19 

 

 

 『西大勅諡興正菩薩行実年譜』には、仁治3年(1242)、西大寺鎮守として興正

菩薩叡尊上人が三輪から石落神(少彦名命)を勧請して祀ったのが始まりとされる。

 

 叡尊は石落神の秘薬の製法を授与され、施薬院を構えて多くの人々を救ったという由

来があり、その薬・豊心丹は日本最古の売薬💊とされ、昭和17年(1942)まで官

許の売薬として西大寺で製造販売されていました。

 

 『続日本紀』には、

 

  破却西大寺東塔心礎。其石大方一丈餘。厚九尺。東大寺以東。飯盛山之石也。
初以數千人引之。日去數歩。時復或鳴。於是。益人夫。九日乃至。即加削刻築基已畢。
時巫覡之徒。動以石崇爲言。於是。積柴燒之。潅以卅餘斛酒。片片破却。棄於道路。
後月餘日。天皇不予。卜之破石爲崇。即復拾置淨地。不令人馬踐之。
今其寺内東南隅數十片破石是也。

 

 (簡訳)

 

  東塔の心礎に据えようとした大石が数千人で動かしてもほとんど動かず、時に唸り声をあげました。なんとか基礎を築いたが、祟りがあるかもしれないということで石を焼き、酒を注ぎ、砕いて棄てました。その後称徳天皇は病となる(この年の8月に崩御)。やはり砕いた石の祟りということで、再び拾い、清らかな土地に置き、人馬が踏まないようにしました。今は寺の東南隅にあります。

 

 と記されており、奈良時代西大寺に伝わる石の祟りから、石落神を祀ったとされて

いる。

 

 本殿は切妻の正面に庇が付く神社本殿形式である春日造であり、正面に階段がなく、

床を張っただけの見世棚造と呼ばれた簡素な形式である。

 

 装飾が少なく、部材に大きな面取りを施し、垂木に反り増しを付けるなど全体に古式

であり、風蝕も大きいことから室町時代に建立されたものと推定されています。

 

 昭和57年(1982)、保存修理が行われ、瓦葺から檜皮葺に復原されました。

 

 

 西大寺境内飛び地であるが・・・神社境内には結界があり祠に近づくことは出来ませ

ん。

 

 しかしながら、『続日本紀』にある記述から由緒ある神社であり必見です!!

 

 (参考資料)

   現地案内板