仏教伝来時に伝わった戒律は不完全なものであり、税を逃れるために出家して得度を
受けない私度僧が多く、出家したといえど修行もせず堕落したものが多かった。
そのため、戒律を伝えるために唐から招かれたのが鑑真であり、天平勝宝6年(75
4)、東大寺に戒壇を築き、聖武天皇以下430人に授戒を行った。
その後、東大寺戒壇院、筑紫大宰府・観世音寺、下野薬師寺が天下の三戒壇とされ、
いずれかで授戒し戒を受けることが必須となり、国分寺が僧を管理することとなった。
弘仁13年(822)、延暦寺に戒壇の勅許が下されるも、官寺ではないことから唐
では延暦寺で授戒したものは道元禅師のように僧として認められなかった。
鎌倉時代の叡尊は、三戒壇や延暦寺戒壇は実態を失い授戒を行うに値しないとして、
戒律に則って結界を築き正しい手順で儀式を行えば授戒は成立すると提唱している。
平安時代中期以後、唐招提寺においても戒律護持が廃れたことから寺は荒廃してしま
いますが・・・寛元2年(1244)、覚盛が唐招提寺を再興し、その後、証玄によっ
て諸伽藍の整備が行われ、弘安7年(1284)、戒壇が築かれている(唐招提寺創建
時に築かれたとされる説もある)。
慶長元年(1596)、慶長伏見の大地震によって倒壊してしまうが、元禄9年(1
696)、徳川綱吉の実母である桂昌院の寄進によって再建される。
しかし、嘉永元年(1848)、放火🔥によって焼失。以降再建されることはなかっ
た💦
昭和53年(1978)、発掘調査が実施されたが・・・戒壇の創建時期を明らかに
する遺物の検出はなく、調査後にインド・サンチ―式の古塔を模した宝塔が壇上に設置
されており、創建当初のものは石段三段のみである。
「唐招提寺」は観光客に人気の古刹である。最近ではJRのCMでも「唐招提寺」を
押している。
そんな中、境内を散策する人の多くが仏教史上で重要な施設である戒壇には足を運ん
ではいない(+_+)
境内隈なく散策するとかなりの時間を有してしまうことから、主要伽藍を見学して終
わりということなのだろうが・・・拝観料を無駄にしないように是非隈なく散策して欲
しいと思います。
(参考資料)
現地配付パンフレット