【 信濃国分寺 三重塔 】
天平13年(741)、聖武天皇による国分寺建立の詔によって伽藍が整備される
が、天慶元年(938)、平将門の乱の一環である国分寺河原の戦いによって創建当時
の国分寺は焼失したとされ、その後、律令国家の崩壊に伴い、国家的保護は失われ、寺
は荒廃したとされる。
寺伝では、建久8年(1197)、源頼朝が善光寺参詣の帰路に信濃国分寺に立ち寄
った際、寺の衰退を憂い、塔の復興を命じたとされるが、現在残る「信濃国分寺 三重
塔」は和様・禅宗様折衷の建築様式であることから、室町中期建立と推察されている。
また「貞享乙丑天三月二日(1685)」「享保十一丙午天三月二十八日(172
6)」「修覆延享五年辰三月七日(1748)」「葺替安永七戊戌天閏七月三日(17
78)」「修覆文政二己卯歳閏四月吉祥日(1819)」銘の棟札があり、塔の修復・
葺替の年が明らかである。
日本遺産 レイラインがつなぐ「太陽と大地の聖地」構成文化財でもある「信濃国分寺
三重塔」。蘇民将来符授与の地でもありますから・・・是非足を運んでいただきたい場
所です(^^♪
(参考資料)
現地案内板