所在地: 奈良市登大路町48
公開日: 毎年7月7日のみ内陣公開
高さ19.1m、初層:方三間4.8m。
康治2年(1143)、崇徳天皇の中宮・皇嘉門院聖子が建立したが、治承4年(1
180)、平重衡による南都焼き討ちで焼失。間もなく再建されたとされ、北円堂とと
もに興福寺最古の建造物である。
初層内部の四天柱をX状に結ぶ板には東に薬師如来、南に釈迦如来、西に阿弥陀如
来、北に弥勒如来を各千体描き、さらに四天柱や長押、外陣の柱や扉、板壁には宝相華
文や楼蘭、仏や菩薩などが集う浄土の風景、貴族風の人物などが描かれています。
明治に入り、神仏分離令による廃仏毀釈の風潮が治まる頃、内陣(東側須弥壇)に、
かつて興福寺子院であった世尊院の弁才天坐像とその諸尊である十五童子を遷座し安置
しました。
興福寺最古の建造物である三重塔ですが・・・、一般の人はやはり「南円堂」や「五
重塔」、中金堂・東金堂が散策のメイン💦💦あまり注目されることはないみたい(+_+)
しかしながら、「北円堂」と併せて興福寺散策の際には必須の建造物ですから、外観
だけでも見てもらいたいものです。
(参考資料)
現地案内板