日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

誠之堂(埼玉県深谷市)

 

  【 誠之堂 】

 

   所在地:  深谷市起会110-1  

   入館料:       無 料

   休館日: 年末年始(12/29~1/3)

 

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 大正5年(1916)、渋沢栄一喜寿(77歳)を記念して第一銀行行員たちの出

資によって建設された。

 

 設計は、「清水組(現清水建設㈱)」の技師長として数多くの建築家を育てた当時の

建築界の第一人者・田辺淳吉で、設計にあたり西洋風の田舎屋で、建坪は30坪前後と

いう条件を守りつつ、田辺独自の発送を凝縮して建造した。

 

 建築面積112㎡、煉瓦造平屋建。外観は英国農家に範を取りながら、室内外の装飾

には、中国・朝鮮・日本など東洋的意匠を取り入れており、それらがバランスよくまと

められている。

 

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 北側外部壁面には、煉瓦による朝鮮風装飾積みで喜寿の文字を表し、外壁にはあえて

色ムラのある煉瓦を使用し、装飾性と変化を与えている。

 

 解体の際、外壁・基礎の各所から「上敷免製」の刻印のある煉瓦が発見され、煉瓦は

深谷市上敷免の日本煉瓦製造株式会社で焼かれたものであることが確認されている。

 

 大広間の円筒型漆喰天井(ヴォールト天井)は、石膏レリーフにより雲・鶴・松葉の

縁・寿の文字を配した朝鮮風。その一方で、次之間の天井は、網代天井で数寄屋造の様

式が採り入れられている。

 

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 ステンドグラスも注目すべき装飾である。大広間の図案は森屋延雄によるもので、中

国風の珍しい題材である。漢代の貴人と従者、それを饗応する歌舞奏者と厨房の人物像

である。表裏の図柄が異なるのも特徴である。

 

 「誠之堂」の命名は、渋沢栄一地震によるもので、儒教の代表的な経典『中庸』の

一節「誠者天之道也、誠之者人之道也」に因んだものである。

 

 なお、渋沢栄一は株式会社組織による企業の創設・育成に力を注ぎ、日本近代経済社

会の基礎を築いたが、その拠点としたのが第一国立銀行であり、明治29年(189

6)、栄一は初代頭取に就任している。喜寿を迎えるのを機に、第一国立銀行頭取を辞

任したが、「誠之堂」建築に同行員が携わっていることから、英一が深く敬愛されてい

たことがうかがえる。

 

 東京都世田谷区瀬田に建造されていた「誠之堂」は、「清風亭」同様の経緯を辿り,、

平成11年(1999)に深谷市に移築復元された。

 

 ※ 経緯については「清風亭」をご参照下さい。       

               https://nihonshiseki.hatenablog.com/entry/2021/07/06/173041

 

 現在、大寄公民館敷地内に移築され、無料で広く市民に公開されている。文化財の公

開という観点からは非常に優れた取り組みであるが、保存の観点からは今後費用面の捻

出という大問題を抱えている。

 

 文化財カードを有償で配布しており、こうして獲得した資金が修復費用となる。見学

の際には是非とも協力をお願いしますm(__)m

 

 (参考資料)

   現地配付パンフレット

   現地案内板