【 手向山八幡宮 】
天平勝宝元年(749)、東大寺造営および大仏建立に際し、宇佐八幡宮より東大寺
鎮守神として勧請されている。創建当初は平城京南に所在した梨原宮に鎮座していたと
される。
梨原宮の所在地に関しては不詳であるが、奈良市三条大路(1)に所在する「平城京
左京三条二坊宮跡庭園」がその跡ともいわれている。
その後、東大寺大仏殿南方の鏡池付近に遷座したが、治承4年(1180)、平重衡
による南都焼き討ちで焼失している。
文治4年(1188)、東大寺大勧進職・重源によって仮殿が建立され、建久8年
(1197)、社殿が再建されるも、嘉禎3年(1237)、東大寺大勧進職で臨済宗
の僧である退耕行勇によって遷宮提案がなされ、建長2年(1250)、鎌倉幕府5代
執権・北条時頼によって境内地が東大寺千手院跡地である現在地に再遷座している。
寛永19年(1642)11月27日、西之坂から出火した火事の類焼によって再び
「手向山八幡宮」は焼失するも💦元禄4年(1691)、公慶上人によって社殿が再建
されました。
創建以来、東大寺に属し鎮守社とされた「手向山八幡宮」であるが、明治4年(18
71)、神仏分離令によって東大寺から独立し、県社に列されている。
さて、「手向山八幡宮」の参拝の主目的は【手向山八幡宮の立絵馬】購入が目的でし
た(^^♪
参拝した折はコロナ禍の真っ只中。通常であれば大いに賑わっている「東大寺」も人
気がない。
こんな「南大門」の風景を見たことがありませんわ💦
そんな中での参拝であり、確か御朱印も頂いたはず・・・なんですが💦御朱印帖に見
当たらない(>_<) 失念していたのかなぁ💦💦💦
「手向山八幡宮」は東大寺二月堂・三月堂などを訪れたならば是非とも訪れていただ
きたい神社。現在では多くの観光客も訪れていますから、古都・奈良に是非お出かけく
ださいませm(__)m
(参考資料)
現地配付パンフレット
現地案内板