【 奥州塚古墳 】
所在地: 佐野市植野町1983付近
延暦7年(788)、征夷大将軍・紀古佐美は蝦夷征伐に向かったが大敗を喫し、こ
の地まで退き、激戦の末に蝦夷を追い払ったという。
この際、多くの戦死者を埋葬したのが「奥州塚古墳」であるとの伝承がある。
墳丘上には「史跡 奥州塚」の石碑が建つが、明治42年(1909)、植野・新屋敷
に住んでいた青年有志一同によって木碑を建てたことに始まる。
昭和33年(1958)、区画整理の際、周囲に存在した古墳は削平されたようだ
が、「奥州塚古墳」のみが植野町のランドマーク的な存在として残されたようだ。
発掘調査も未実施であり詳細は不明であるが、直径15m、墳丘高1.5mの円墳とい
うことである。
「奥州塚古墳」を中心としたロータリーになっている。このような形であっても墳丘
を保存してきた住民の方々に敬意を表したい。活用面に関しては難しいだろうが・・・
破壊されなかっただけでも良かったのではないだろうか。