【 了翁禅師塔碑 】
了翁禅師は江戸時代前半の黄檗宗の僧侶で、俗姓は鈴木氏、了翁は号、諱名は道覚。
出羽国雄勝郡八幡村前田(現在の秋田県湯沢市幡野)に生まれ、承応年間(1652~
1655)、隠元禅師に師事し、明応2年(1656)、隠元の黄檗宗萬福寺開山に尽
力している。
のちに諸国を巡る途中、霊薬の処方を夢に見て修得し、錦袋円と命名し、上野不忍池
池畔で薬屋を営み、俗甥の大助に任せた。錦袋円は数年のうちに数千両の利益を得るほ
どの評判であったという。
寛文10年(1670)、利益を元手に天海版大蔵経6323巻を購入し、輪王寺初
代・守澄法親王の許しを得て不忍池に小島を築き、経蔵を建てて大蔵経を納めている。
寛文12年(1672)、上野寛永寺境内に勧学寮を建立。寮生に出されたおかずに
は了翁が考案した漬物が出されたのだが・・・輪王寺宮がこれを食して美味とし福神漬
けと命名したという。
天和2年(1682)、天和の大火(八百屋お七の火事)では被災者救済に私財を投
じるなどの功績によって輪王寺宮から勧学院権大僧正法印位に任じられています。
宝永4年(1707)5月、78歳で入寂し、萬福寺天真院に埋葬されました。
「了翁禅師塔碑」は禅師の業績を刻んだ顕彰碑であり、生前に建立されたものです
が、建立された場所、寛永寺境内に移築された経緯などは不明である。
「寛永寺根本中堂」境内には多くの史跡が存在しているが、「了翁禅師塔碑」もその
一つである。了翁禅師の輝かしい業績のいくつかを上記したのだが・・・その人生は教
育文化、社会福祉、公共事業など各種社会事業に貢献したもの。
今の政治家に見習ってもらいたい歴史上の人物って思うのは某だけでしょうかね💦
(参考資料)
現地案内板