【 西条陣屋跡 】 評価 ★★
別 名:
所 在 地: 中野市西条字東屋敷
築城年代: 寛永元年(1624)
築 城 者: 江戸幕府
区 分: 陣 屋
現 状: 宅 地
『長野県町村誌』に陣屋址として、「東西三十三間一尺四寸(60m)、南北三十禄
間三尺(65.7m)本村(西条村)の東、字東屋敷にあり。門或は長屋等の残礎尚存
す。寛永元年甲子(1624)徳川氏陣屋を本土に開置し、代官相楽長兵衛、寛文五年
辛酉(1665)三月より代官相楽権兵衛、同八年戌申八月より、代官相楽孫兵衛等交
替して之に居る。天和元年辛酉(1681)廃庁となり、即ち本郡中野町同氏庁へ合併
となる。其址地、家屋、売却投票となり、代官相楽孫兵衛の臣関口佐左衛門へ落票す、
依りて農となり本村に住す」と記されている。
寛永元年(1624)、高井野藩45,000石(後に25,000石を返上し2万
石)領主であった福島正則が没すると、その所領は天領となった。江戸幕府は中野南郡
支配の拠点として「西条陣屋」を構え、代官として相楽長兵衛を置いている。
寛文5年(1665)3月には代官・相楽権兵衛が、寛文8年(1668)8月から
は代官・相楽孫兵衛が天領支配を行っている。
天和元年(1681)、陣屋は廃され、中野陣屋に統合されることとなったが、陣屋
址の屋敷地は代官・相楽孫兵衛の家臣であった関口佐左衛門に売却されている。
そして・・・現在も関口氏子孫の方が跡地に居住している。
なお、関口氏宅入口の長屋門は陣屋裏門を移築したものと伝わっています。
近年、新規城館跡攻略が無かったのだが・・・久々の攻略となった(通算攻略数23
66)。伝陣屋裏門、石碑がある「西条陣屋跡」を訪れたことで、再び城館跡攻略も進
めて行こうとの思いが高まっている。
がっ、これまで通り。焦ることなく現地踏査に励もうと思います(^^♪
(参考資料)
信濃の山城と館 8 水内・高井・補遺編 宮坂武男 戎光祥出版
現地案内板