日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

上野駅東西自由通路建設地点の遺跡(東京都台東区)

 

  【 上野駅東西自由通路建設地点の遺跡 】

 

   所在地: 台東区上野公園5

 

 

 東京都立上野公園内は「上野忍岡遺跡群」として周知の遺跡である。

 

 「上野駅東西自由通路建設地点の遺跡」は、上野台地東南の縁辺に位置しており、こ

の地には寛永11年(1634)、寛永寺子院の常照院が建立されたが、延宝6年(1

678)、凌雲院が移転してきている。18世紀中頃には徳川御三卿(田安・一橋・清

水家)の墓所となっています。

 

 平成10年(1998)、上野駅東西自由通路建設に伴い発掘調査が実施され、縄文

時代前期から近世までの複合遺跡であることが明らかとなった。

 

 遺構として縄文時代前期、弥生時代末期頃、古墳時代後期、奈良・平安時代の住居跡

が検出され、古墳時代の住居跡は焼失しており屋根材が炭化した状態で検出している。

また道路状遺構や縄文時代の集石も検出している。

 

 古墳時代の焼失住居跡からは完全形の土師器坏、金環が遺物として出土しており、

「摺鉢山古墳」に関連した集落であったと推察されています。

 

 さらに調査地の北東側からは近世前半の段切状遺構が検出され、後に整地され墓所

なり、石槨墓5基、墓地を区画する石組みも検出したことから、一橋家墓所と推察され

ています(国立西洋美術館構内=清水家墓所東京文化会館=?家墓所が確認されてい

る)。また近世前半の地下室等の遺構も確認されており、常照院に関係した遺構と推察

されています。

 

 近世の遺物としては、地下室から中国製磁器、銅製灯明具、松竹・鶴亀文印刻土師質

皿などが出土している。

 

 

 上野駅東西自由通路脇にある「パンダ橋」石碑横に案内板が設置され、出土遺物は台

東区有形文化財(考古資料)に指定されています。

 

 案内版があるだけで、ここが遺跡って改めて認識される。これこそ【周知の遺跡】っ

て思いませんか?遺跡台帳に掲載=周知ではないと感じているのは某だけでしょうか💦

もっとより多くの遺跡に案内板が設置されることを切に望みます。

 

 (参考資料)

   たいとう名所図会 史跡説明版ガイドブック  台東区教育委員会

   現地案内板