日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

田尻遺跡(群馬県渋川市)

 

  【 田尻遺跡 】

 

   所在地: 渋川市北橘町八崎214

 

 

 平成7年(1995)、主要地方道渋川・大胡線改良工事に伴い、弥生土器(壺)が

出土したことから、旧北橘村教育委員会によって遺跡の一部(大正橋信号南東側60㎡

のみ)の発掘調査が実施された。

 

 その結果、弥生時代後期の住居跡3軒、土坑1基が検出。そのうちY-1号住居跡か

ら全長16.6㎝、刃部長12.3㎝、刃部最大幅2.6㎝、厚さ0.41㎝、茎部長4.3

㎝、茎部厚さ0.52㎝の鉄剣、甕・壺・小形台付甕・鉢・有孔鉢・片口鉢などの弥生土

器、石器などが出土しています。

 

 

 大正橋信号に程近い道路脇に「田尻遺跡」案内板が設置されている。付近に適当な駐

車スペースがないため💦訪れる際はどこに駐車すべきかを検討する必要があるだろう。

 

 渋川市は主要な遺跡に案内板があるケースが多く、ちょっと嬉しい地域である。近所

でありながら未踏査の遺跡も多いので、今後も継続して踏査していこうと思います(^^♪

 

 (参考資料)

   現地案内板

渋川市北橘歴史資料館 令和5年度企画展『渋川古代探訪』見学です!!

 

 去る日曜日(4/14)、「しぶかわ城跡探訪の会」第8回定期総会前に訪れたの

は、渋川市北橘町真壁にある「渋川市北橘歴史資料館」。

 

 

nihonshiseki.hatenablog.com

 

 令和6年6月16日(日)まで開催中の令和5年度企画展『渋川古代探訪』を見学し

てまいりました。

 

 

 渋川市の遺跡として「金井東裏遺跡」「黒井峯遺跡」などは全国的によく知られてい

ますが、市内の遺跡の大半はあまり知られていません💦

 

 今回の企画展では、遺跡どうしのまとまりや時系列を追いながら、古代渋川の歴史を

探るものとなっています。

 

 遺物として注目されるのは、伝経塚古墳出土の蕨手刀・八木原元宿南遺跡の奈良三

彩。

 

 全体を通じて遺物展示よりもキャプションが多い感がありますが・・・、渋川市内の

遺跡情報を得られました(^^♪

 

 皆様も是非「渋川市北橘歴史資料館」で本企画展をご覧頂ければと思いますm(__)m

しぶかわの縄文土器

 

 

  令和6年(2024)2月19日 発行   渋川市教育委員会文化財保護課

 

                            ¥1000

 

 渋川市の「道訓前遺跡」や「房谷戸遺跡」から出土した縄文土器は国の重要文化財

指定されており、その芸術性の高さから国内外での評価も高いものです。

 

 そうした逸品を中心に、縄文時代草創期から晩期の土器を通時的に掲載された図録で

す!!冊子末には掲載土器の解説も付いており、便利な1冊ではないでしょうか。

 

 某は縄文土器って専門分野外なんですが・・・資料として購入してみました(^^♪

 

 冊子は「渋川市北橘歴史資料館」等で購入可能ですので、御興味ある方は是非ど~ぞ

m(__)m

久々の検査 ~定期健診って必要だよね💦~

 

 さて、今日はこれからも健康に踏査するために狭心症の定期健診。

 

 いつぶりであろうか?造影剤を投入してのCT検査に加えて、心エコー検査などを実

施!!

 

 心筋梗塞一歩手前の状態の違和感はないものの、しっかりと検査しておくことは必要

だろう。人間ドックなんてしていない某が言うのもなんですが💦

 

 検査結果は1週間後。

 

 結果が判明するまで安心はできませんが・・・違和感も無いし、まっ大丈夫でしょ

(^^♪

 

 皆さんもしっかりと定期健診は受けましょうねぇ(^^♪

八崎寄居跡(群馬県渋川市)

 

  【 八崎寄居跡 】       評価 ★

 

   別  名:

   所  在  地:  渋川市北橘町八崎字寄居

   築城年代:

   築  城  者:    八崎衆 

   区  分:    崖端城

   現  状:     北橘保育園

 

 

 昭和63年(1988)、北橘村教育委員会による道路改良工事に伴う発掘調査が実

施され、柵列・掘立柱建物などの遺構が確認されている。

 

 ちなみに、発掘調査担当者=「しぶかわ城跡探訪の会」事務局長である。

 

 この地の土豪である八崎衆によって戦国期に築かれた寄居(地侍が集落を防衛するた

めに身を寄せた砦程度のもの)である。

 

 のちに八崎城(北橘町分郷八崎)が築かれるのだが・・・字名から八崎集落の中心は

こちらだったと思われる。しかしながら、この地の防衛機能は八崎城に移されたと推察

されることから廃絶時期は早かったのではないだろうか。

 

 

 遺構自体は残されていないが、後日更新予定の「田尻遺跡」を訪れるのに丁度よかっ

たので再訪してみた次第。ということで、滞在時間は数分というところ💦

 

 しかし、発掘調査に携わったのは事務局長だったとは。教育委員会にいたことは知っ

てはいたが、北橘地区の多くの遺跡調査に携わった人物であり、今後も御指導を仰がな

ければと思っています(^^♪

 

 (参考資料)

   日本城郭体系 4 茨城・栃木・群馬   新人物往来社

しぶかわ城跡探訪の会 第8回定期総会 無事閉会!!

 

 本日、渋川市中央公民館に於いて「しぶかわ城跡探訪の会」第8回定期総会が開催さ

れました。

 

 某、近年では城館跡よりも遺跡・古墳等々を踏査することが多くなり(もちろん城館

跡も踏査しますよ💦)、「しぶかわ城跡探訪の会」の定期的な城館跡探訪には参加する

こともなく、幽霊的存在なんですが・・・総会くらいはと参加しております💦

 

 

 役員選任、前年度事業報告・決算報告、今年度事業計画・予算案承認など、総会は無

事に閉会しました。

 

 今回、某がもっとも気にしたのが・・・

 

 

 総会受付に【奈良大学通信教育部案内パンフ】を御好意で設置させていただき、「し

ぶかわ城跡探訪の会」総会参加者が手にしていただけるかということ。

 

 こちらも多くの方が手に取っていただいたようで・・・奈良大学通信教育部の周知の

一助と多少なったかなぁと安堵しております。

普門寺前の道標(大阪府高槻市)

 

  【 普門寺前の道標 】

 

           所在地: 高槻市富田町4-14

 

 

 高槻城下と富田・茨木を結ぶ富田街道が南に折れる普門寺前の辻に、天保4年(18

33)建立された高さ1m25㎝の道標である。

 

 北面(裏面)には、「天保四歳癸巳二月上旬建之」

 

 南面(正面)には、右側に「右 京山﨑高津き芥川」、左側に「左 能勢妙見かぶさ

ん」、下部に大きく「道」

 

 東面(右面)には、上部に「左」、右側に「大坂 尼崎 い者´´らき」、左側に「す

ぐ そうじ寺」、下部に大きく「道」

 

 西面(左面)には、「右 大坂 みしまへ道」

 

                        と刻まれている。

 

  ※ 一部の文字は旧字体であったり、当て字であったりしますので、変換困難なもの

    に関しては刻字と異なります。ご了承くださいm(__)m

 

 

 天正10年(1582)、羽柴秀吉vs明智光秀山崎の戦い前日、羽柴秀吉の軍勢

は富田に着陣しており、詳細なルートは不明ながらも、普門寺前の辻を通ったと考えら

れています。

 

 そう考えると、この何げない道も歴史街道ってより感じませんかぁ(^^♪

 

 (参考資料)

   文化財をめぐる高槻 まちかど遺産    高槻市立しろあと歴史館

   現地案内板