日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

谷地遺跡C地点 配石遺構(群馬県藤岡市)

 

  【 谷地遺跡C地点 配石遺構 】

 

   所在地:藤岡市中栗須813-1 公立藤岡総合病院附属外来センター敷地東端部

 

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 平成28年(2016)、公立藤岡総合病院附属外来センター建設に先立って発掘調査が実施され、約5,500㎡が調査されました。

 

 谷地遺跡は縄文時代後期から晩期(4,000~2,000年前)の遺跡として知られ、過去の調査では土器埋設遺構等の遺構が知られていました。

 

 今回の(って当然ながら平成28年のですが・・・)調査では、縄文時代後期の住居跡約10軒、配石遺構等約30基が検出され、列石遺構も検出しました。

 また、出土した流木などからほぼ同時期の川(洪水)の痕跡も発見されています。

 

 調査区の東南隅から発見された7基の配石遺構は、主に細長い川原石を利用して長方形に囲い、中を十字に区切り、その中央や両端に石棒が立てられた状態で出土しました。

 十字に区画する石は2個並べて置かれることが多く、石棒や立石とともに一つの特徴となっている。これらはお互い隣接して造られ、配石遺構のまとまりも方形であった可能性が考えられています。

 

 石棒は生命力の象徴と考えられており、配石遺構は縄文時代の人々が子孫繁栄や五穀豊穣といったムラの幸せを祈った祭祀の場であったと推測されています。

 

 南に隣接する「中栗須滝川Ⅱ遺跡」(現在、デイサービス施設・栗須の郷が建つ)は、同遺跡と同一のムラと推定され、縄文時代後期から晩期の住宅跡や列石などが検出していることから、この一帯が縄文時代後期から晩期の拠点集落であったと考えられています。

 

 公立藤岡総合病院附属外来センターの東端部に、配石遺構の一部が移築復元されています。なお、見学の際には病院利用者に配慮するようお願い致しますm(__)m

 

 

 それにしても、史跡指定されていないことでなかなか知られていないですが・・・、こうして保存されていたり、案内板があるって遺跡も多いですね。こうした場所もより周知されることが必要ですねぇ💦せっかく保存されているのですから💦

 

 (参考資料)

    埋文ぐんま         群馬県埋蔵文化財調査事業団

    現地案内板

藤岡歴史館秋期企画展『上州の絹織物 ぐんまの絹とふじおかの絹』

 

 現在、藤岡市埋蔵文化財収蔵庫 藤岡歴史館において、秋期企画展『上州の絹織物 ぐんまの絹とふじおかの絹』が行われております!

 

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 江戸時代以前から藤岡では絹織物生産が行われていました。江戸時代には「日野絹・藤山絹」と呼ばれ良質な絹として、三井越後屋の呉服出店の主力商品として取引されています。

 

 世界遺産に登録された「高山社跡」も藤岡の絹に関連した遺産ですよね。

 

 さらに群馬には「西の西陣 東の桐生」と称された桐生織や伊勢崎銘仙・伊勢崎絣といった現在国の伝統工芸品になっているものもあります。

 

 本企画展では、近世の蚕糸・絹織物業の発展によって、群馬の近代絹産業遺産が成立していった経緯について紹介し、絹の元といえる繭の変遷について展示されています!

 

 12/6(日)まで無休で開催されております。入館無料です。桐生織や伊勢崎絣の名品も展示されていますので、是非足をお運び下さいm(__)m

 

 

 それにしても、この時期は数多の博物館・資料館で行われている企画展・特別展詣でをするのは大変💦仕事の合間に訪れたので駆け足でした💦

 群馬県歴史博物館にも行かなきゃならないし💦観音塚考古資料館にも行かなきゃ💦忙しい毎日ですじゃあ💦💦

えっ💦こんなところに・・・。

 

 今日の午前中は、母の定期健診🏥 ということで、公立藤岡総合病院へ。

 

 公立藤岡総合病院附属外来センター建設に先立ち、発掘調査が行われていたのは知っていましたが、現在継続中の自宅整理の際、「えっ💦こんなところに・・・」という情報を得ていました。

 

 その場所が、まさに公立藤岡総合病院敷地内!!

 

 これまで何度も健診の度に訪れていたにもかかわらず、まったくそんなことに気づかずにいました💦

 

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 公立藤岡総合病院附属外来センター敷地東端部に「谷地C遺跡 配石遺構」の一部が移築復元してあったんです。しっかり案内板までありますわ(^^♪

 

 史跡紹介は別トピックでするとしてっと。

 

 案内板だけってこともありますが、「谷地C遺跡 配石遺構」のように「えっ、こんなところに・・・。」という遺跡も多いですから、今後もアンテナ高くしてご紹介していきます(^^♪

 

 見学に際しては、病院🏥利用者に御配慮いただけますようお願い申し上げますm(__)m

西鹿田中島遺跡(群馬県みどり市)

 

  【 西鹿田中島遺跡 】

 

   所在地: みどり市笠懸町西鹿田882-1外

 

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 大間々扇状地の西側・桐原面を南北に縦断して利根川に注ぐ早川の右岸、東方の小高い丘陵西側にのびた古渡良瀬川旧河道を流れる小さな河川の合流点を臨む南北方向に細長く伸びた舌状大地の先端部に位置している「西鹿田中島遺跡」。

 

 旧石器時代(「岩宿時代」と呼称する考古学者もいます)から近世(江戸時代)にかけての複合遺跡ですが・・・、縄文時代の遺構が中心の遺跡です。

 

 昭和初期、開墾等により早くから押型文土器が採集されたことにより、群馬県における縄文時代の始まりを考察する上で重要な遺跡であることが、岩澤正作によって指摘されていました。

 

 昭和24年(1949)、縄文時代最古の土器追及のため周東隆一によって発掘調査が行われ、昭和28年(1953)には、岩宿遺跡の発見以来相次いだ縄文時代以前の石器時代文化と縄文時代の架け橋をさぐるため、相澤忠洋によって発掘調査が行われました。

 

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       ( 相澤忠洋によって発掘調査が行われた地点 )

 

 爪形文土器が最古とされた縄文時代早期の土器群より、層位的に下位から押型文土器が出土したという所見は、この地の縄文土器型式学研究に大きな影響を与えるものでした。

 

 その後、笠懸町教育委員会によって昭和55年(1980)、昭和60年(1985)、平成10年から13年(1998~2001)に発掘調査が行われ、旧石器時代的遊動的生活から、縄文時代的暮らしへと移行する過渡的様相をもった遺跡であること、縄文時代草創期の遺跡としては全国有数の規模をもつことが明らかとなっています。

 

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          ( 西鹿田中島遺跡ガイダンス施設 )

 

 発掘調査では、縄文時代早期末から前期初頭頃の大規模集落跡(住居状遺構・土坑・集石など)が検出したことは大きな成果の一つでしたが、縄文時代草創期の遺構や遺物が多数検出されたことが特筆すべき成果である。

 

 放射線炭素年代測定法によって、厚手爪形文土器は11,000年前頃、多縄文系土器は10,000年前頃という測定値が与えられ、縄文時代草創期後半と考えられています。

 

 遺構・遺物の切りあい状況から、少なくとも3回以上ヒトビトの生活痕が重複していることが明らかとなり、遺跡が反復的に使用されていたことも解明されました。

 

 

 みどり市では、平成22年度から遺跡保存整備事業を開始し、平成26年度に実施設計全体計画図を策定。現在、ガイダンス施設も整備して遺跡の保存が図られています。

 

 今後、遺跡の活用という面でさらに考えていきたい遺跡でもあります。

 

 (参考資料)

    現地配付パンフレット

    現地案内板

本当に最後の?在宅特別科目習得試験『博物館資料論』受験!

 

 奈良大学通信教育部在宅特別科目習得試験は、来年1月31日(日)まであと9回開催されるのですが・・・、現在テキスト学習進めている『博物館資料保存論』はテキスト半分程度の進捗状況であり、年内にレポート課題提出出来るか?といった具合💦

 

 その後の科目習得試験も在宅になる可能性もありますが・・・、某にとっては本当に最後の在宅特別科目習得試験受験になるかもしれません。

 いえ、来年には新型コロナウイルスワクチンが開発されて、新しい生活様式はあっても以前のように東京で試験が受けられるようになってもらいたい。

 

 さて、今回の在宅特別科目習得試験は、博物館学芸員資格『博物館資料論』!!

 

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 AM10:00 奈良大学通信教育部公式HPにアクセスするも・・・試験問題へアクセスされない💦

 あれっ💦💦あれっ💦💦10分ほど何度もアクセスし直すものの問題番号は表示されず💦💦💦

 

 結局、アクセス出来ずに奈良大学通信教育部へ📞してっと。

 

 解答用紙に必死に事前に用意した解答を書き書き🖊 ふ~ぅ💦 書き書き🖊 ふ~ぅ💦というのを繰り返し・・・2時間経過。

 

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 完成しましたぁ(^^♪

 

 今回は課題レポートに近い設題だったこともあって、合格してるだろ!と安心感たっぷり(油断は禁物ではありますが・・・)。

 

 早速ポストに投函して、在宅特別科目習得試験受験終了!!

 

 一つのステップが終わったので、次のステップであるテキスト学習『博物館資料保存論』進捗させるべく、ブログ更新後は再び机に向かいます(^^♪

 

 博物館学芸員資格2教科目の『博物館資料論』合格していますように。結果は・・・来月中旬。乞うご期待💦

足袋とくらしの博物館(埼玉県行田市)

 

 【 足袋とくらしの博物館 】

 

   所在地:   行田市行田1-2

   入館料: 大人 ¥200 小学生 ¥100

   開館日:     土曜日・日曜日

 

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 平成17年(2005)10月8日、埼玉県NPO活動本格化支援助成を受けて、NPO法人・ぎょうだ足袋蔵ネットワークが開館されています。

 

 元々は老舗足袋商店の「牧野本店」が大正時代後半に建設した工場を整備・改装したものです。

 

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               ( 牧野本店 表玄関 )

 

 明治7年(1874)、忍藩松平下総守家臣・牧野鉄弥太によって牧野本店は創業。明治維新直後の行田では、足袋商人に転身した武士が数多く居たようですが、成功を収めたものはごく僅かでした。

 

 牧野本店は成功を収め、明治32年(1899)以降には3棟の土蔵を建設するなど商売を順調に拡大しています。

 

 大正時代中頃には、白足袋の製造を開始し、大正11年(1922)には木造洋風の工場(これが「足袋とくらしの博物館」となっています)、足袋蔵を建設しています。

 

 牧野本店は電動ミシンを導入して設備の近代化を進め、店蔵(上の写真です)を建築しています。

 

 昭和初期には工場を二階建に建て増しして、現在の姿となりました。

 

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                                                       ( 工場二階の様子 )

 

 牧野本店は、力弥たびの商標を用い、主に青森・岩手など東北地方の呉服屋に足袋を卸しており、特に青森県八戸市では足袋=力弥たびと言われる程独占的に足袋を卸していました。

 

 しかしながら、昭和30年(1955)頃を境として足袋の需要は落ち込み始め、一時期は子供用ズボンやトレーニングパンツ等の製造も手掛けるなどしましたが、やがて足袋製造専業に戻りました。

 

 その後、問屋卸中心に、他社の足袋製造も引き受けて足袋生産を続けましたが・・・服装の洋風化に伴う足袋需要の極端な減少💦従業員の高齢化💦後継者不在💦という現在の中小零細企業同様の悪条件が重なったことで、平成17年(2005)4月をもって3代続いた牧野本店は永い歴史に終止符を打ちました。

 

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               ( 従業員休憩室 )

 

 某テレビドラマの影響もあって、行田=足袋のまちとのイメージも広まりつつある。現代の人にとって足袋は馴染みのないモノかもしれない。そもそもなかなか足袋を売っている店は身近に無い💦

 

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 「足袋とくらしの博物館」では足袋の製造&販売も行っています!!

 

 日本古来の文化の一つである足袋。行田市を訪れて買い求めてみるのか如何でしょうか(^^♪

 

 (参考資料)

    現地配付パンフレット 

セレクション社会心理学ー5 新版 社会のイメージの心理学 ぼくらのリアリティはどう形成されるか

 

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  平成5年(1993)4月10日 初版発行 

  平成25年(2013)4月10日 新版第1刷発行    池田謙一 著

 

            サイエンス社            ¥1800+税

 

 奈良大学通信教育部教養科目「人間論Ⅲ」のテキストであります。

 

 私たちは、社会的な関係性が作り出す現実(リアリティ)を基に生活していますが、それは事実とはイコールではない。ときには事実に基づかない現実を作り出し、支え、それに基づいて行動しているのです。

 

 私たちがどのようにして現実をつくり、現実を支え、現実から影響を受けるのか?その仕組みについて考察されている一冊です。

 

 なかなか読破には骨が折れました💦社会心理学って学んだこともないですし、然程興味自体もないからでしょうか?

 

 通信教育部ですと・・・テキスト代も年間授業料に含まれていますから、貰えるテキストは全て貰っておくことが良いと思っています。

 考古学という一分野だけではなく、様々な学問に精通することは無理ですが・・・、本だけでも読んでおけば多少は自分の身になるでしょうしね。

 

 この一冊は、米国同時多発テロ事件や東日本大震災後に新版として発行されていますから、人間の心理について考えるには良いテキストだと思います。

 

 興味のある方は是非お読みいただければと思いますm(__)m